病院というところはつくづく季節から隔絶されているな、と思う。院内空調は年中28℃だから気温の変化はまずないし、窓のある病室ならまだしも我々の生息地たる研修医室や処置室やナースステーションからは基本的に外の景色が見えない。夏休みらしい夏休みがあるわけでもない。季節感がなくなりすぎて気づいたら一年終わってるよ、と先輩ドクターも似たようなことを言っていた気がする。そんな病院のなかで、季節を感じることができる数少ない場所が小児病棟ではなかろうか。
7月上旬、小児病棟ナースステーションの横には笹が飾られていた。年に一度再会を果たす織姫と彦星に平癒の願いを託し、患児や家族が短冊をつるしていた。イベントごとは全力で盛り上げねばと、私も地域住民の健康と平和を願って二礼二拍手一礼しておいた。これで今夜の当直も安泰だと思っていたその日の夕方、熱中症とスポーツ外傷と食中毒で初療室は一杯になった。夏が始まったなあ。
中旬にもなると、夏休みが始まり予定手術などが増えるからか、入退院が活発になる。退院後の予定を教えてくれる子、付きそいのおばあちゃんとお絵かきをしている子、学校の心配をしている子ーー夏休みというものの一大イベント感たるや尋常でなく、どの子もみんな目の輝きを宿していた。我々はこの輝きを平成のどこに置いてきたのだろうかと思いながら回診をしていると、1人、曇った目で計算ドリルを解いているのがいた。西東三鬼も『算術の少年しのび泣けり夏』と詠んでいるのだ、これも夏の風物詩だ。
今年は梅雨が短かったせいか、蝉が鳴き出すのが遅かった気がする。7月下旬、底の抜けたように鳴き散らかす蝉の声は意外にも病棟でもかすかに聞こえ、ナースコールの音と絶妙なハーモニーを為し、退院時要約を書いている耳に流れ込んでくる。ふと、ここのナースコールは何の曲なのか調べてみたら、サティの“Je te veux” という曲だった。歌詞をみるとこれがなかなか情熱的で、女性が恋慕う男性に「あなたのすべてが欲しい」と歌う内容。なるほどすぐ来て欲しいナースコールにはぴったりかもしれない、などと考えていると、「先生、このオーダーまだなんですけど、出してもらっていいですか?」ーー全てを求められるのもきっと楽ではないだろう。
かくして季節感あふれる一ヶ月が終わったが、研修自体はまだ終わらない。次のローテーション科はどこだろうと卓上カレンダーをめくってみたら、より室内環境が一定で外の景色も見えない手術場にいる時間の長い某科だった。まじかよ。まあ、とりあえず、来月はラジオ体操でもするか。
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